古い人はすぐに気づくと思いますが(笑)
この記事のタイトルは、ジョン・レノンの歌の曲名「女は世界の奴隷か」だ。
歌詞では「Woman is the Nigger of the World」と、クエスチョンマークがついていないので、本来ならば「女は世界の奴隷だ」と訳さなければならないところだ。
この曲は、1972年にアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収録されていて、フェミニズム(女性解放運動)に関する歌だ。
ヨーコさんに影響されて書いた曲なのだろう。
なんでこんなタイトルにしたかというと…
最近のインドのレイプ事件のニュースを見ていると、「女は世界の奴隷か」と思ってしまうのだ。
ちなみに、nigger=ニグロで、本来「黒人」を意味する。
蔑称なので英語を話す時に、特に黒人に対して使ってはいけません。
もっとも、一部の黒人の人々は誇りを込めて自分たちをこう呼ぶこともあります。
Yahooニュースで、弁護士で国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長の伊藤和子さんが書いた「インドを揺るがすレイプ殺人 なぜ悲劇は後をたたないのか。」という記事を見つけた。
ニュース記事だから、あとで消えるだろうが、いちおうリンクを張っておく。
- インドを揺るがすレイプ殺人 なぜ悲劇は後をたたないのか。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20130108-00022977/
この記事では最初に、昨年12月、23歳のインドの女子学生がバスのなかで、酔った6人の男たちから集団レイプされ、その後死亡した事件について触れている。
男たちは、鉄パイプで彼女を殴り、鉄の棒を使って暴行したという。
これにより、彼女は腸管を損傷、臓器不全に陥ったという。
バスから裸同然で車外に放り出され、しばらくは警官や通行人も彼女を助けようとしなかった。
その後手術を行ったが、入院先のシンガポールで死亡した。
伊藤氏によると、このような強姦事件がなくならない背景には、レイプした者が有罪判決を受けることは稀であることがあるという。
また、女性が殺されても捜査機関が深刻に受け止めず、また裁判所が女性に対する暴力を軽視しているため、多くのケースが不合理な形で無罪となる。
そのために、女性はどんなに残虐に虐待しても罰せられない、いくら虐待してもよい、という不処罰の文化をつくっているという。
伊藤氏の活動に関心がある方は、こちらにブログがある。
- 人権は国境を越えて-弁護士伊藤和子のダイアリー
http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/
こうした事件が大きな問題にならないのは、根本的に社会の男尊女卑の風潮があるのだろう。
インドは私にとって憧れの霊性の国だが、このような忌まわしい負の側面もある。
インドだけではなく、アジアなどの多くの国々でもいまだに見られることだ。
強姦は娯楽?
おととい、愕然とするニュース記事を読んだ。
バングラデシュ、中国、カンボジア、インドネシア、パプアニューギニア、スリランカの6ヵ国で1万人の男性を対象に行った調査結果の内容だ。
それによると、約10人に1人の男性(11%)が、パートナー以外の女性をレイプしたことがあるという。
- 6割の男性がレイプ認める国も:6カ国の国連調査
http://www.huffingtonpost.jp/2013/09/11/rape-in-asia-pacific-survey-prevalence_n_3905888.html
この調査は、6カ国の18〜49歳の男性に対する対面の聞き取りによって行われた。
回答者の約4分の3(73%)が、「自分には性的な欲求を満たす資格がある」という考え方を示した。
その半数以上(59%)が、「娯楽」としてレイプを行ったと言っている。
また、回答者の38%は、「女性を罰する目的」だったという。
今年6月には、WHOが、世界の3人に1人の女性が性的または身体的な暴力を受けていると報告している。↓
- 「世界の女性の3分の1」が暴力の被害者:WHO
http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/24/violence_against_women_who_n_3488644.html
このような国々では、女性をあたかも物か何かのように思っている男性が多いということなのだろう。
昔の日本でも、このような男尊女卑の傾向があったが、これほど酷くはなかっただろう。
欧米の白人社会では特に、さまざまな分野で男女平等が言われているが、アジアやアフリカなどの成熟していない社会では、まだまだ女性蔑視の風潮が強いところが多いようだ。
過去のハピズムの記事も
ハピズムでも、3月に白神じゅりこさんが、同じレイプ事件の記事を書いていた。
下記の記事です。
- レイプ大国インドの実態 顔に硫酸、素手で腸を出す……信仰とカーストが生んだ獣たち
http://happism.cyzowoman.com/2013/03/post_1993.html
作家、コラムニスト、ジャーナリストのじゅりこさんは、いつもハピズムで私とかぶるジャンルの記事を書くことが多い。
ハピズムの記事は最後まで読まないと誰が執筆したかわからないが、「この記事おもしろいな」と思うものは、多くがこの人の記事だったりする。
集団でレイプした後で、被害者を殺そうとしたというのは、もう文化や宗教観の違い云々ではなくて、人道的に許されないことだ。
じゅりこさんが書いているように、インドではカーストという制度の存在も大きいだろう。
マハトマ・ガンディーもインドの聖者たちも、カーストをなくそうとはしなかった。
この事に関しては、抵抗を感じるところだ。
イスラム教国などでは、レイプされた被害者が罪に問われるなど、もう無茶苦茶だ。
被害者が証人を用意できない場合は、逆に誹謗中傷や姦通罪に問われるために、訴える方もリスクが大きいようだ。
レイプとは異なるが、女性の顔に塩酸や硫酸をかけるアシッドアタックの問題もある。
こちらの記事で書いている。
- 女性の一生を台無しにするアシッドアタック
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20100909/acid
インドでは、IT産業で職に就くことが、カーストの鎖から自由になることがあると、じゅりこさんの記事で知って、光が見えたような気がした。
カルマの法則で考える
ここで、インド起源である輪廻転生とカルマの法則によって、女性を強姦した男性に、どのような「学び」が待っているかを考えてみる。
私がいつも思うのは、カルマの法則というのは、単純な「罪と罰」ではない。
そうではなく、私は「学習と習得」というモデルで考えている。
強姦という行為は、ある種の社会では特に女性の一生を台無しにしてしまうもので、その罪は法的な意味以上に重いものがあるだろう。
日本でも他の国でも、このような性的犯罪が軽く罰せられるとしか思えないことが多いのは、男性社会が決めた法律によるものだからだろう。
つまり、女性たちの意見が反映されていない。
人に対して何か良くないことをしたた場合に、「自分が相手の立場になったら、どんな気持ちになるか?」を学ばされることが多いと思われる。
女性をレイプするような男性も、来世で女性として生まれ変わった時に、男性から同様のことをされないと「思い知らない」男性が少なくないだろう。
そうなる前に、自分の行ったことを十分に反省して、相手に対して謝罪の気持ちをもった場合では、その限りではないかもしれない。
そういうものだろう。
繰り返すが、これは罪と罰ではなく、本人の霊的成長のための「学び」としてのカリキュラムなのだ。
これ以上多くを語る必要はないでしょう。
男女が本当の意味で平等に生きられる世界になってほしいものだ。
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