●追求三昧 by 百瀬直也● - 超常現象研究家・地震前兆研究家が何でも追求するブログ

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死にたい人々へ~スピ的に「自ら死を選ぶこと」を考える

風邪でダウンしていて遅くなったが、10日にハピズムで、私が執筆した記事が掲載された。
「なぜ、新小岩駅は名所となってしまったのか?」というもの。
また、スピリチュアル的に、自ら死を選ぶとどうなるのかについても書いている。
まず、記事を読んでみてください。


ハピズムでランキングに昇ってこないので、また外してしまったかと思った。
だが編集部の人によれば、ハピズム以外の外部で大きな反響があったそうだ。


飛び降りなどは、実行に移してみると、あんまり…というか、まったく良いことがない。
変な人道主義的な観点からではなく、本当に「やめた方が身のためだよ。絶対後悔するよ」的な世界なのだ。

生死の道理を知る

心霊学の本などを読めば、だいたいそういうことが書かれているだろう。
ほとんどの人は、自分が生まれてきた前のことを知らず、死んだ後でどうなるかも知らず(知ろうともせず)、死んで行く。


「この世を生きる」ということに関して最も本質的なことを含むのに、なぜ知らないで平気でいられるのだろうか。


弘法大師空海曰く、

三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し(くらし)


人は何度生き死にを繰り返しても、
最も大切なことである、
「なぜ生まれるのか」
「なぜ死ぬのか」
を知らない。
そして輪廻転生を繰り返す。
(輪廻の鎖から逃れられない)


「人間って、死んだらどこへ行くの?」
この問いが、あらゆる哲学的・宗教的探求の始まりだろう。
私は小学生の頃、星空を独り眺めながら、よく考えていた。


生きること 、死ぬことの道理がわかれば、決して自ら死を選ぶことなどしないだろう。
しかし、そんなことは学校では教えてくれない。
それで、ただ独り、霊的世界の探求を始めなければならない。
その道程は、本当に孤独だ。

自己否定(無私)が霊的成長をもたらす

本題から逸れたが、自ら死を選ぶというのは、基本的には良くないこと。
だが、本当に死のうと思っていることは、自分という執着から、ある程度自由になっていることもあるだろう。
そういう時に、神仏に向いて生きているような人の場合、自分の中に外部からの力が入り込み、奇跡的なことが起きたりすることもある。


戦争で本当に国のためにと思って死んでいった人も、自分という殻から脱して、霊的に成長する場合もあるだろう。


だが、やはり自分の勝手な都合で死を選ぶのは、フォローの余地がない。
この世に生まれてくるのは大変なことで、生まれてきたくても、なかなか許されない魂たちも霊がいたくさんいる。
そういう稀有な機会を与えられていることを自覚して、われわれは今生を生きなければならない。

袋小路は絶対ない

人間の人生の道程には、絶対絶対、「袋小路」は無い。
なぜなら、人間は霊的成長をするために、自ら設定した、あるいはより上位の霊的階層にいる存在に与えられたカリキュラムを学習することが本務だからだ。


どんなに苦しく解決策が見つからない状況でも、諦めない心を持ち続ければ、あるいは神仏の助けを得れば、道が開けてくるのだ。
それは私自身が56年の中で何度か体験して来たことなので、はっきり言えるのだ。


人は、人生に試練が多くあるほど、より高みへと霊的成長ができる。
その意味では、他の人々よりも「恵まれている」かもしれない。


こういうことを書いている自分自身も、死にたいと思ったことがあった。
だが、愛する人の涙で思いとどまったり、愛する家族がいるからと、実行に移さなかった。
インドネシアで働いていたときは、仕事で行き詰まって、死ぬしかないと思ったが、どうせ死ぬなら自分のすべてを神さまに委ねようと決めた。
その後、神の操り人形として、各地を聖地巡礼して世界の平和や自然災害の鎮静を祈るようになった。
それが結果的には、自分にとって良かったのだと思えるようになった。


というようなことは、さすがにハピズムでは書けないので、こちらで書いてみた。


自殺のコスト

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自殺の心理学 (講談社現代新書)

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