●追求三昧 by 百瀬直也● - 超常現象研究家・地震前兆研究家が何でも追求するブログ

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死刑は是か非か

今日のニュースによると、池田小児童殺傷事件の宅間守死刑囚ら2人の刑が執行されたことで、京都の東本願寺を本山とする真宗大谷派は、死刑執行の停止と死刑制度の廃止を求める声明を小泉首相に送ったそうだ。
熊谷宗恵宗務総長の声明文では「いまだ反省の気持ちを表現するにいたらない人間であっても、かげがえのないいのちとして尊重する社会の実現を願う」としている。
死刑といえば、元オウム真理教麻原彰晃被告への死刑判決へは、国民の多くがその判決を支持したといわれる。


死刑には、もともと反対の立場をとっている。どんな人間も生命を「創造」することはできず、それを勝手に奪うこともできないと考えるからだ。また、どんな人間の判断も決して「絶対」ではありえないということもある。
死刑を廃止して、その代わりに終身刑を与えれば良いだろう。
死刑制度が犯罪の抑止力になっているという声もあるが、そういう意味では終身刑の方がある意味では辛い刑ではないだろうか。
ただし、日本に比べると米国の監獄などは「人権」を考慮されていて、ある意味「快適な一生」を送ることができるという皮肉な環境になっているようだから、そこらへんは検討の余地があるだろうが。


オウムのサリン事件で殺された人々の遺族のように、「死刑にならなければ麻原への憎しみの気持が収まらないし、また殺された肉親も成仏できない」と思う人々は気の毒だと思うが、殺した相手が死ねば成仏できるというものでもないのだ。
「人を裁くことができるのは神のみ」だと考えるから、罪人の行く末は神様に任されば良いのではないか。


では、死刑がダメだとして、正当防衛による殺人は良しとするか?
それは不可抗力による特殊なケースとして許されるべきかもしれない。
それと、別の問題として、重い犯罪を犯した者に対して、刑が軽すぎるのではないかと思うことが多々あることだ。
たとえば、婦女暴行を犯した者に対する求刑のときだ。
男尊女卑の悪しき慣習から生まれる男性たちの偏見が、いまだに残っていると思わざるをえない。
レイプされた女性が一生その心の傷が癒えないことがあることを考えれば、殺人罪に匹敵する刑を与えてもおかしくないのではないかと思う。


男女平等ではないといえば、かつての日本では、女性の姦通に対する罪が非常に重かったのに対して、男性は罪とはならなかったということがある。
米国では、殺人を犯した者への刑が軽すぎるのではないかと思うことがある。
それだけあの国では殺人が珍しくなくなってしまっているということなのだろうか。
先に書いたように、人は誰も生命を創造できないのであり、そのような生命を奪う者へは、重い罪を課すべきだろう。


【参考サイト】
死刑廃止運動関連サイト
 http://www.asahi-net.or.jp/~ef4j-tkgi/dp/dplinks.html
◎死刑・終身刑の是非
 http://home.imai.nu/k-imai/diary/2001/01/10h.shtml


(この記事は2004/09/16にexciteブログに投稿したものの転載です)


元刑務官が明かす死刑のすべて (文春文庫)

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死刑はこうして執行される (講談社文庫)

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